いよいよ開宴だ。(3)
2013年5月24日 日常級友を乗せて車を会場へ走らせた。開宴は午後6時30分で、ちょっと時間があったのでホテルへ車を置き、歩いて行くことにした。昔はたいそう賑わっていたアーケード街へ足を踏み入れると。悲しや、今はシャッター通り。すっかり変貌していた。郊外の大型店舗へ客足を取られ、町の中心部が空洞化したのだ。大方の地方都市は同じ状況にあるようだ。
驕れる者、久しからず。ひとえに風の前の塵に同じ。栄枯盛衰は世の常。それでも、人は生きていかねばならない。「古き、良き時代をもう一度」と、願えども、時は逆戻りしない。知恵を絞り新たなる転換を模索するしかないのか?。
そんな事を話しながら、目的地に到着した。暖簾をくぐると、奥まった部屋へ案内された。30分ばかり早く着いたが、既に幹事のH君が来ていた。その後、続々と級友達が入ってきた。懐かしい顔ばかりだ。「おおおおーーつ、久しぶり」と挨拶を交わし、近況を述べ合った。さすがに、皆、老け顔だ。「おい、画家ちゃんよ、俺とあんたが一番、若々しいぜ」と、僕は言って、笑いあったことだ。それもそうだろう。二人とも個人事業主で、時間に束縛されることもなく、のほほんと、その日暮らしで生きてきたからなあーー。
和室のテーブルには、座る場所に名前札が置かれていた。なんと、僕の席は亀ちゃん先生夫婦と向かい合わせ。まいったぜ。過去の思い出したくない記憶が、まざまざとよみがえるではないか。どうも、遠方から参加した人達を亀ちゃん先生の周囲に配置したようだ。嬉しさのあまり涙が、ちょちょ切れるぜーーー。
頃もよく、亀ちゃん先生夫婦が登場。二人ともすっかり白髪ながら、足取りはまだしっかりしていた。僕たち遠方組の前に、「デーン」と腰を下ろした。20数名の級友達もそろったようだ。幹事のH君が開宴の弁を述べ、恩師、亀ちゃんの挨拶となった。亀ちゃん先生の挨拶はなにせ長い。過去、何度も挨拶を聞いたが、30分は平気でやってのける。いつぞや、級友の一人がしびれを切らして、「先生、手短にお願いしまーす」と言ったことがあった。先生は「分かった、分かった」と言いながら、それからまた、ひとしきり。隣に座っている奥方が、上目遣いに、合図を送るが知らぬ存ぜずだ。ご多分に漏れず、今回も30分。奥方の気遣いは、いかばかりか?。
亀ちゃん先生の話は、主に、読んだ本の話である。僕たちにも「読みなさい」と暗に促しているのだろう。国語の先生だから、それも頷ける。居眠りばかりして出来の悪い生徒が多かったので、国語の授業を再演しているかのようだ。痛いほどハートにしみる。しみると言えば、宴会場は畳敷き。僕は先生の目の前で、あぐらをかくわけにも行かない。正座で30分、耐えた。女性達はいざ知らず、他のの男性諸氏は、適当にあぐらをかいていた。僕も後ろの席がよかったぜ。
やっと、挨拶が終わり、乾杯の運びとなった。一番遠方から来た級友が音頭を取った。彼も久しぶりの級友達との再会だったので、数分のおしゃべりを。これは仕方がない。ビールが注がれ、僕は乾いたのどを一気に潤した。時、すでに40分が経過。
後は野となれ山となれで、あちこちで雑談が始まった。卒業後、それぞれに違った環境で生きてきたが、この時ばかりは、皆、昔に戻り、思い出話に花を咲かせていた。僕もひとしきり、先生夫婦や隣近所の級友達とおしゃべりをした。料理にはほとんど手をつけずに、頃を見計らい、他の席へ移動した。他の者達も同じような行動をしていた。まあ、これが一般的なパターンだろう。
時計を見ると、すでに午後9時を回っていた。幹事が2次会の手配を済ませていたので、有志一同がそこへ移動することに。亀ちゃん先生夫婦は、さすがにそこまでは同行しなかったが、僕はいつ先生が退散したのか気が付かなかった。焼酎で、幾分か酩酊していたのだろう。画家君他10数名が二次会へ移動することになる。(続く)
驕れる者、久しからず。ひとえに風の前の塵に同じ。栄枯盛衰は世の常。それでも、人は生きていかねばならない。「古き、良き時代をもう一度」と、願えども、時は逆戻りしない。知恵を絞り新たなる転換を模索するしかないのか?。
そんな事を話しながら、目的地に到着した。暖簾をくぐると、奥まった部屋へ案内された。30分ばかり早く着いたが、既に幹事のH君が来ていた。その後、続々と級友達が入ってきた。懐かしい顔ばかりだ。「おおおおーーつ、久しぶり」と挨拶を交わし、近況を述べ合った。さすがに、皆、老け顔だ。「おい、画家ちゃんよ、俺とあんたが一番、若々しいぜ」と、僕は言って、笑いあったことだ。それもそうだろう。二人とも個人事業主で、時間に束縛されることもなく、のほほんと、その日暮らしで生きてきたからなあーー。
和室のテーブルには、座る場所に名前札が置かれていた。なんと、僕の席は亀ちゃん先生夫婦と向かい合わせ。まいったぜ。過去の思い出したくない記憶が、まざまざとよみがえるではないか。どうも、遠方から参加した人達を亀ちゃん先生の周囲に配置したようだ。嬉しさのあまり涙が、ちょちょ切れるぜーーー。
頃もよく、亀ちゃん先生夫婦が登場。二人ともすっかり白髪ながら、足取りはまだしっかりしていた。僕たち遠方組の前に、「デーン」と腰を下ろした。20数名の級友達もそろったようだ。幹事のH君が開宴の弁を述べ、恩師、亀ちゃんの挨拶となった。亀ちゃん先生の挨拶はなにせ長い。過去、何度も挨拶を聞いたが、30分は平気でやってのける。いつぞや、級友の一人がしびれを切らして、「先生、手短にお願いしまーす」と言ったことがあった。先生は「分かった、分かった」と言いながら、それからまた、ひとしきり。隣に座っている奥方が、上目遣いに、合図を送るが知らぬ存ぜずだ。ご多分に漏れず、今回も30分。奥方の気遣いは、いかばかりか?。
亀ちゃん先生の話は、主に、読んだ本の話である。僕たちにも「読みなさい」と暗に促しているのだろう。国語の先生だから、それも頷ける。居眠りばかりして出来の悪い生徒が多かったので、国語の授業を再演しているかのようだ。痛いほどハートにしみる。しみると言えば、宴会場は畳敷き。僕は先生の目の前で、あぐらをかくわけにも行かない。正座で30分、耐えた。女性達はいざ知らず、他のの男性諸氏は、適当にあぐらをかいていた。僕も後ろの席がよかったぜ。
やっと、挨拶が終わり、乾杯の運びとなった。一番遠方から来た級友が音頭を取った。彼も久しぶりの級友達との再会だったので、数分のおしゃべりを。これは仕方がない。ビールが注がれ、僕は乾いたのどを一気に潤した。時、すでに40分が経過。
後は野となれ山となれで、あちこちで雑談が始まった。卒業後、それぞれに違った環境で生きてきたが、この時ばかりは、皆、昔に戻り、思い出話に花を咲かせていた。僕もひとしきり、先生夫婦や隣近所の級友達とおしゃべりをした。料理にはほとんど手をつけずに、頃を見計らい、他の席へ移動した。他の者達も同じような行動をしていた。まあ、これが一般的なパターンだろう。
時計を見ると、すでに午後9時を回っていた。幹事が2次会の手配を済ませていたので、有志一同がそこへ移動することに。亀ちゃん先生夫婦は、さすがにそこまでは同行しなかったが、僕はいつ先生が退散したのか気が付かなかった。焼酎で、幾分か酩酊していたのだろう。画家君他10数名が二次会へ移動することになる。(続く)
コメント