梅雨入りし、今日は予報通りに雨が降っている。最近、雨の量が少ないと思っていたので、植物たちは大喜びだろう。僕も今日は彼らにご飯をあげなくて良い。
さてと、恩師の喜寿祝い兼級友会も滞りなく終わった。先生も皆、当時に戻り、懐かしく語り合っていた。青春の一ページがまざまざと蘇る。そこには何の屈託も、しこりもない。あるは「思い出」という記念碑。それぞれに生き様は違っていても、この記念碑だけは決して消滅することがないだろう。
別れの時がやって来た。尾崎紀世彦氏の歌を思い出す。「また、会う日までー、会える時までー。別れの言葉は・・・・」。そうだ。別れの言葉は、ただむなしいだけ。恋人達の場合は特にそうか?。誰かが日記に書いていたが、「また明日ね」という別れの会話。この言葉には時の連続性が感じられ、心に安心感を与える。老若男女が使える良い言葉だ。英語で言えば「see you tomorrow」。だが、いつも使える言葉ではない。ごく親しい人達の間柄では使える。明日、会えないなら「again」だろう。また会う日までである。ケースバイケースで使い分ければよいか。級友会はまさに「see you again」である。
ところで、宴会の席上で、僕は一人の女性と tomorrow の約束をした。残念ながらデートではない。彼女が画家君の画廊を見たいという。そこで僕が案内する旨を約束したわけだ。彼女の家は芸術一家のようだ。子供達は楽団にいり、バイオリンを弾いているとのこと。また、彼女自身もチェロを勉強している。趣味はなんと社交ダンス。ワルツをさっそうと踊る姿は、さぞかしすてきに違いない。僕も昔は、ジルバとかルンバとかブルースを踊ったことがある。ブルースはもっぱらチークダンス。要するに遊びのダンスだ。
そんな彼女を朝8時にホテルをチェックアウトし、迎えに行った。彼女は新幹線駅の近くのホテルに滞在していた。ナビを仕掛けて容易に発見。彼女と合流し、一路画家君の待つ画廊へ。事前に、「茶をよういしとけよ」と、一報をメールで流しておいた。画廊は20分ちょっとの距離にある。車の中でも話したが、彼女も幸せに暮らしている由。月に一度は子供達のいるところへ赴き、孫の世話をしているそうだ。結構なことだ。
画廊に着いた。画家君は愛想よく、僕たちを迎え入れた。昨日僕が迎えに行った時は、床に物が散乱していたが、今日は見事に片づいていた。一応、礼儀はわきまえているようだ。彼女は彼と奥方の絵を丁寧に見て回った。僕はあさましい根性で、絵の値札を見ながら、「なるほどねーー」とつぶやきながら歩みを進めた。彼女はそういうことには全く無関心。感動したような面持ちで眺めていた。その後、テーブルに腰掛け、茶を飲みながら雑談。話が弾んだ。芸術家同士の話は気が合うと意気投合する。僕は口を「ポカーン」と開け、相づちを送りながら、ただ聞いているだけ。
彼女の帰省の時間が迫っていた。画家君との再会を約し、僕は再び、新幹線乗り場まで彼女を見送った。いよいよ、「see you again」である。刹那とも言うべき時間だったが、これも僕には良い思い出となるだろう。彼女は僕が立ち去る車の後を、ずっと手を振って送ってくれた。どちらが送られているのか分からない気がした。一瞬の寂しさを「明日があるさ、ジョージア」と、慰めた。
僕はここから、10㎞離れた故郷の家を見に行くことにした。今は空き家になっている。その後、遅ればせながら兄と母に会うことになる。再び「again」を言わなくてはならない。
さてと、恩師の喜寿祝い兼級友会も滞りなく終わった。先生も皆、当時に戻り、懐かしく語り合っていた。青春の一ページがまざまざと蘇る。そこには何の屈託も、しこりもない。あるは「思い出」という記念碑。それぞれに生き様は違っていても、この記念碑だけは決して消滅することがないだろう。
別れの時がやって来た。尾崎紀世彦氏の歌を思い出す。「また、会う日までー、会える時までー。別れの言葉は・・・・」。そうだ。別れの言葉は、ただむなしいだけ。恋人達の場合は特にそうか?。誰かが日記に書いていたが、「また明日ね」という別れの会話。この言葉には時の連続性が感じられ、心に安心感を与える。老若男女が使える良い言葉だ。英語で言えば「see you tomorrow」。だが、いつも使える言葉ではない。ごく親しい人達の間柄では使える。明日、会えないなら「again」だろう。また会う日までである。ケースバイケースで使い分ければよいか。級友会はまさに「see you again」である。
ところで、宴会の席上で、僕は一人の女性と tomorrow の約束をした。残念ながらデートではない。彼女が画家君の画廊を見たいという。そこで僕が案内する旨を約束したわけだ。彼女の家は芸術一家のようだ。子供達は楽団にいり、バイオリンを弾いているとのこと。また、彼女自身もチェロを勉強している。趣味はなんと社交ダンス。ワルツをさっそうと踊る姿は、さぞかしすてきに違いない。僕も昔は、ジルバとかルンバとかブルースを踊ったことがある。ブルースはもっぱらチークダンス。要するに遊びのダンスだ。
そんな彼女を朝8時にホテルをチェックアウトし、迎えに行った。彼女は新幹線駅の近くのホテルに滞在していた。ナビを仕掛けて容易に発見。彼女と合流し、一路画家君の待つ画廊へ。事前に、「茶をよういしとけよ」と、一報をメールで流しておいた。画廊は20分ちょっとの距離にある。車の中でも話したが、彼女も幸せに暮らしている由。月に一度は子供達のいるところへ赴き、孫の世話をしているそうだ。結構なことだ。
画廊に着いた。画家君は愛想よく、僕たちを迎え入れた。昨日僕が迎えに行った時は、床に物が散乱していたが、今日は見事に片づいていた。一応、礼儀はわきまえているようだ。彼女は彼と奥方の絵を丁寧に見て回った。僕はあさましい根性で、絵の値札を見ながら、「なるほどねーー」とつぶやきながら歩みを進めた。彼女はそういうことには全く無関心。感動したような面持ちで眺めていた。その後、テーブルに腰掛け、茶を飲みながら雑談。話が弾んだ。芸術家同士の話は気が合うと意気投合する。僕は口を「ポカーン」と開け、相づちを送りながら、ただ聞いているだけ。
彼女の帰省の時間が迫っていた。画家君との再会を約し、僕は再び、新幹線乗り場まで彼女を見送った。いよいよ、「see you again」である。刹那とも言うべき時間だったが、これも僕には良い思い出となるだろう。彼女は僕が立ち去る車の後を、ずっと手を振って送ってくれた。どちらが送られているのか分からない気がした。一瞬の寂しさを「明日があるさ、ジョージア」と、慰めた。
僕はここから、10㎞離れた故郷の家を見に行くことにした。今は空き家になっている。その後、遅ればせながら兄と母に会うことになる。再び「again」を言わなくてはならない。
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