グッツドバイ 故郷。(5完)
2013年5月29日 日常級友を新幹線乗り場まで見送り、僕は車を実家に向けて走らせた。10㎞メーターの距離にある。国道を一直線に南下する。見慣れた風景、見慣れた山々。懐かしさが込み上げてくる。10数分で古びた温泉町へ到着した。車を置き、1~2分歩くと我が家がある。道すがら時計・眼鏡店を営む小・中学校の同級生に出会った。「おい、今日は何んかあったっかい?」と、方言丸出しで聞いてきた。僕は「高校の同窓会で来たったい」と、方言で返した。
彼から数年前、仕事の依頼を受けた。無事に仕事も片づき、その後は時々、電話で話していた。母が実家に住んでいたとき、何かと世話をやいてくれた有り難い存在の友人である。お茶をいただき、近況をあれこれと話し合った。「おい、俺たちも、同窓会をしようや。あんた、地元にいるけん、幹事をすればよかとに」と僕が言うと、「幹事は、せからしかけんね。考えとくばい」と彼は言った。
まあ、こんな風で、10分ばかり彼の店舗で過ごし、目と鼻の先の我が家を見に行った。旅館と、シャッターの降りた商店に囲まれ我が家があった。築後120年は経った木造2階建て。中は、老朽化が進みガタガタの状態。梁が頑丈な為、今までもっているのだろう。来年あたり解体すると兄が言う。まあ、これは仕方のないことだ。
中に入ろうかと思ったが、鍵がかかっており、残念ながら入れずじまい。外観の写真だけ撮ることにした。さてと、もうこれ以上いても仕方がない。家の隣で、名物の「ちくわ、天ぷら」を売っている。土産に買うことにした。
今度いつ、この地に来るだろうか?。多分、来年、もしくは同窓会の呼び出しがないかぎり、この地を踏むことはないかもしれない。生まれ育った我が故郷。「兎追いし、あの山。小鮒釣りし、かの川。夢はいつも巡りて、忘れがたき故郷」。たとえ、家屋を解体しても、更地が残る。兄とも話し合ったが、故郷を捨ててはいけない。僕が存命中は守り抜かねば。そんな気持ちを抱いて、母が待つ施設へ向かった。
予定より早く施設へ到着した。兄も程なくやって来た。母は丁度、昼食タイムで食堂へ行っているとのこと。その間、兄と二人で、今後のことを色々と話し合った。ここに弟と義姉がいれば、兄弟全員そろうのだが、ここ何十年も、全員がそろったことがない。それぞれが遠隔地にいて、家庭を築いているとあれば、無理強いすることもない。
母が戻ってきた。食事もおいしいとの事で安心した。母がしげしげと、兄弟二人の顔を眺めた。「純ちゃん、あんた兄ちゃんより、随分若く見えるねえー」と、母が言う。「弟だし、ストレスもないからねえーーー。絶好調だよ」と言うと、「あんた、その、うぬぼれがいけないんだよ」と、たしなめられた。いつものことだ。親はいくつになっても、子のことを心配する。有り難いことだ。子からすれば、親に心配かけたくないから、強がりを言うこともある。それはそれで良いわけだ。
ひとしきり話して、兄に母のことを頼み、「又、来るからね」と言い残して施設を後にした。これで、すべてのスケジュールを消化した。後は第二の故郷とも言うべき、我が家へ帰るだけだ。高速道に乗り、上り車線をひたすら走った。パーキングエリアに立ち寄ろうかと思った。下り車線で宝くじを買ったので、上り車線でも買おうかと思ったからだ。だが止めた。「そんなに欲を出してどうする。一度買えば、それで充分ではないか」という心の声が聞こえた。「ごもっともです」。果報は寝て待てだ。そうすることにしよう。
これで、恩師の喜寿祝い兼級友会の話を閉じよう。さあ、仕事に邁進しなくちゃーーー。
彼から数年前、仕事の依頼を受けた。無事に仕事も片づき、その後は時々、電話で話していた。母が実家に住んでいたとき、何かと世話をやいてくれた有り難い存在の友人である。お茶をいただき、近況をあれこれと話し合った。「おい、俺たちも、同窓会をしようや。あんた、地元にいるけん、幹事をすればよかとに」と僕が言うと、「幹事は、せからしかけんね。考えとくばい」と彼は言った。
まあ、こんな風で、10分ばかり彼の店舗で過ごし、目と鼻の先の我が家を見に行った。旅館と、シャッターの降りた商店に囲まれ我が家があった。築後120年は経った木造2階建て。中は、老朽化が進みガタガタの状態。梁が頑丈な為、今までもっているのだろう。来年あたり解体すると兄が言う。まあ、これは仕方のないことだ。
中に入ろうかと思ったが、鍵がかかっており、残念ながら入れずじまい。外観の写真だけ撮ることにした。さてと、もうこれ以上いても仕方がない。家の隣で、名物の「ちくわ、天ぷら」を売っている。土産に買うことにした。
今度いつ、この地に来るだろうか?。多分、来年、もしくは同窓会の呼び出しがないかぎり、この地を踏むことはないかもしれない。生まれ育った我が故郷。「兎追いし、あの山。小鮒釣りし、かの川。夢はいつも巡りて、忘れがたき故郷」。たとえ、家屋を解体しても、更地が残る。兄とも話し合ったが、故郷を捨ててはいけない。僕が存命中は守り抜かねば。そんな気持ちを抱いて、母が待つ施設へ向かった。
予定より早く施設へ到着した。兄も程なくやって来た。母は丁度、昼食タイムで食堂へ行っているとのこと。その間、兄と二人で、今後のことを色々と話し合った。ここに弟と義姉がいれば、兄弟全員そろうのだが、ここ何十年も、全員がそろったことがない。それぞれが遠隔地にいて、家庭を築いているとあれば、無理強いすることもない。
母が戻ってきた。食事もおいしいとの事で安心した。母がしげしげと、兄弟二人の顔を眺めた。「純ちゃん、あんた兄ちゃんより、随分若く見えるねえー」と、母が言う。「弟だし、ストレスもないからねえーーー。絶好調だよ」と言うと、「あんた、その、うぬぼれがいけないんだよ」と、たしなめられた。いつものことだ。親はいくつになっても、子のことを心配する。有り難いことだ。子からすれば、親に心配かけたくないから、強がりを言うこともある。それはそれで良いわけだ。
ひとしきり話して、兄に母のことを頼み、「又、来るからね」と言い残して施設を後にした。これで、すべてのスケジュールを消化した。後は第二の故郷とも言うべき、我が家へ帰るだけだ。高速道に乗り、上り車線をひたすら走った。パーキングエリアに立ち寄ろうかと思った。下り車線で宝くじを買ったので、上り車線でも買おうかと思ったからだ。だが止めた。「そんなに欲を出してどうする。一度買えば、それで充分ではないか」という心の声が聞こえた。「ごもっともです」。果報は寝て待てだ。そうすることにしよう。
これで、恩師の喜寿祝い兼級友会の話を閉じよう。さあ、仕事に邁進しなくちゃーーー。
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