六月の憂鬱。

2013年6月10日 日常
六月。何となく嫌な月だ。梅雨もさることながら、この得体の知れない、うっとうしさは、心まで暗くなる。台風も近づいている由。例年に比べて結構、早い到来らしい。いやああ、まさに地球規模での異変。どうあがいても自然現象には歯が立たない。ただひたすら、惨事に至らないことを願うのみだ。

そんな中、僕は、六月になってふぬけ状態だ。五月一杯は目白押しの行事をなんとか乗り切り、仕事もぼちぼち片づけた。その反動が今、来ているのかも知れない。最近はうつろな目で、田園風景を眺めていることが多い。

農家はこれから農繁期だ。既に麦が刈られ、田んぼが耕され、今や遅しと水が引かれようとしている。だが、しかし、水が少ない。まとまった雨が降らないからだ。「雨、雨、降れ降れ、もっと降れ・・・・」。八代亜紀さん、なんとかしてよ。

くしくも、昨夜は麦や稲などの、植物に関する話をラジオで聞いた。僕は農業者ではないが、興味深かかった。なぜ、稲には田んぼに水を引くのか?。麦には水を引かない。その違いは一体なんだ?。話を聞いて驚いた。なんと、稲は幼少の頃は根をあまり張らない。稲の中心に管があり、その管が水や栄養を運ぶのだそうだ。えええつ、稲に管が通っている?。見たことがない。麦は管がないから根を張って、水や栄養を補給している。ただ、稲も大きく成長した暁には田んぼの水も既に干上がる。そこで、根を張るらしい。地割れさえ生じている。この地割れが空気を地中に運んで、実りを促すわけだ。単なる地割れではない。うまく自然は出来ているものよ。

また最近は、すっかりレンゲ草が姿を消した。これは安い肥料が手に入るようになったことや、耕地面積の減少等も影響しているようだ。そうそう、レンゲ草の代わりに、近年は菜の花が重宝されているようだ。菜の花は食料や油にもなるし、すばらしい緑肥として利用され、捨てるところがない。まさに天下の宝刀だ。そんな事も知らずに、小さかった頃は、のほほんと菜の花畑を踏み荒らしたものだ。罪深かった僕をお許しください。アーメン。

もう一つ、話の中で面白かったのは、レンコンは水や泥の中にあるが、なぜ、穴があるのか?。レンコンの穴はいくつあるのか?。知るよしもない。確かにレンコンは中央に大きな穴と、その周りに小さな穴がいくつかある。なんでも、大きな穴は水面上の葉っぱから空気を取り込み、小さな穴は稲と同じように栄養分を取り込む管の働きをしているようだ。だてに穴がある訳ではない。知らなかった。ちなみに、真ん中を取り巻く小さな穴は9個あるらしい。これはどのレンコンでも同じ数とのこと。いやああ、植物も生命体。自然に適応しながら、たくましく生きている。そんな彼らが僕たちの生命を支えているのだ。感動した。

人間も自然に適応しているが、悲しいかな。考える能力を持ってしまった。善しにつけ、悪しきにつけ、この能力が人心を狂わすのだ。六月の憂鬱も、この、考える能力が、マイナス面に働いているのだろう。だからといって、せっかく授かった、考えるという能力を捨て去る気にはなれない。他の生命体と同じように、喜び悲しみを享受しながら、運命共同体として天命を全うしなければならない。

六月の憂鬱はやがて灼熱を迎え、心は嫌悪に変わるだろう。また、その後は秋のため息に変わり、厳しい冬はロマンチックな星空を演出する。めぐりめぐって、のどかな春がやってくる。自然はまさに輪廻転生である。




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