風鈴と猫。

2013年6月21日 日常
昨日は、とある講演を聞く機会を得た。雨降る中を1時間ばかり車を走らせて会場に着いた。開場が12時半。開演は1時からだった。聴衆は1000人位だったか。講師は数え87歳になるかという老禅師だ。こちらには初めて来たようで、来ての第一印象は「いやああ大地が広く、緑豊かですねえー」という言葉だった。折しも、こちらは田植えの時期。見渡す限りの田園は、さながら自然そのもの。僕達には見慣れた風景でも、老師には壮大なスケールに映ったのだろう。

講演が始まった。老師のゆっくりとした語り口は、あたかも子守歌かのごとく、僕は心地よさに、いつの間にか「こっくりこっくり」と船をこいだようだ。それでも、興味深い話はいくつか覚えていた。風鈴の話と猫の話である。

風鈴、これは夏の風物詩である。「人間は風鈴の様に生きられたらいい」と老師は言う。風鈴は風のない時は「じっと」しているが、風が東西南北、いずれの方角から吹いても風に逆らわず、風の強弱に従い、優美な音色を奏でる。とらわれることがなく自由である。「そんな生き方が出来ればいい」と言う。

また、風鈴のごとく生きる生き方は、猫の生き方にも似ていると言う。「猫の生き方ねえーーー?」と、猫嫌いな僕は思わず笑ったが、師が面白い例を引き合いに出した。「ある猫が立派な服を着せられて、高級車に乗り込んだ。その光景を縁の下で見ていた別の猫は、驚く様子もなく、うらやましく思う気持ちもない。淡々と眺めているだけ。自由気ままに生きる猫にとっては、そんなことはどうでも良いわけだ」と。なるほどねえーー。自由に任せるという面では、風鈴も猫も同じか?。

なんでも老師が住む敷地には猫が70~80匹はいるそうだ。捨て猫や繁殖した猫が年々増えている由し。最近は、猫の為にプレハブ小屋を2棟建てて、冷暖房を完備したらしい。これには皆笑った。猫様々である。寒さを慮っての老師の心遣いであろう。人間様のみが文明の利器に預かるのは贅沢というもの。

さらに面白いことを老師が言った。「猫には自殺がない。皆さん、聞いたことがありますか?。猫が自殺したって」と。なぜって、「猫には悩みがないからです。風鈴が風に任せて自由に音色を奏でるように、猫も自由に、気ままに生きているからです。高級車に乗った猫がうらやましいなんて微塵も思わない」と。「なるほどねえーー」と僕も納得。

そういえば「時の流れに身を任せて」とかいう歌があったっけ。「これも、同じような事を言っているのかなあーーー」と、ふと思った。確かに老師の言うように生きられたら幸いだ。だが、しかし、ばっと、今日、我々は縦横無尽に押し寄せて来るしがらみに、一喜一憂しながら生きているのが実情。そんな中で、「心平和に自由に生きられたら幸いだ」と皆、思っている。それが出来ないから悩みが生じ、自殺まで人を駆り立てる事があるわけだ。

要は、欲をむさぼらず、風鈴が風に任せてなびくように、猫が知らぬ存ぜずの境地で生きているように、自然な生き方を心がければ、悩みや、しがらみも自ずと消滅するのだろう。

聴衆者の一人から質問が出た。「先生は、長年生きてこられましたけど、生と死について、特に死後について、どう思われますか?。極楽ってあるんでしょうか?」と。皆、笑った。師の答えは単純明快だった。「わかりません。。。」である。付け加えて、「私もまた生きていますからね。ただ、輪廻転生。人も物も迷いの世界で何度も生まれ変わるでしょう。自然に即してありのままに生きていれば極楽も地獄もありません。ただ、ひたすら生き、ただひたすら死ぬ。そこには悩みも迷いもない。それだけです」と。

うんんん、納得。単純、単細胞の僕は思った事よ。「これからは、風鈴や猫のように生きよう」って。





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