こちらも梅雨が上がったみたいだ。さあ、これから灼熱の地獄がやってくる。地獄は年々拡大しているようだ。温暖化、温暖化と言われて久しいが、一体いつになったら、温暖化に終止符が打たれるのだろう。恐らく、地球滅亡の時かも知れない。既に、我、存在せずか?。ただ、我慢しながら日々を生きていくしかないか。

ところで、昨夜は、7時半に寝床に入った。暑い夜は早く寝に就いたが良い。昔、父がよく言っていた。「寝るが一番、死ぬが二番」って。その当時は、「そんなものかなーーー?」と思っていたが、寝ても支障がない時は早く寝るに限る。やっと、そう思えるようになってきた。

朝早く目が覚めて、まだ、涼しい内に一仕事出来るのもその一つ。今朝の一仕事は、たまった古新聞と雑誌、それに空き缶等を所定の置き場まで、荷車で運ぶ。一番乗りだ。これも気持ちが良い。ゴミ処理係は僕にお似合いの仕事だ。かくして、冷たい水を「ごくっ」とのどに流し込む。これも快感だ。

もう一つ、早く寝たには理由がある。テレビを見ないかわりに、寝ながらラジオを聞きたかったからである。昨夜は、青木奈緒さんという、エッセイスト兼作家の講演を聞いた。青木奈緒さんて人を、今まで知らなかったが、なんと、幸田露伴が曾祖父で、祖母が幸田文さん、母親が青木玉さん、その子供が青木奈緒さんになる。四代にわたっての作家だ。これにはびっくりした。

話の内容はうつらうつらしながら聞いたので、定かには覚えていないが、「しつけ」に関するような話だった。母親までは結構厳しく、しつけがなされたらしいが、奈緒さんは皆無というわけではないが、結構、自由に育てられたらしい。

印象に残った話がある。奈緒さんは食事に時間がかかったそうだ。あっち、こっち、よそ見しながら食事をするので、時間がかかるわけだ。そこで、中国古典の名言がある。「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味をしらず」。こう、たしなめられた。いやああ、なかなかの名言である。

もう一つ、なるほどと思ったことがある。「残すなら、何時までも思い出に残る、思い出させる物を残したがいい」と奈緒さんは言っていた。彼女にとっての思い出の物は着物だった。小さい頃から着付けを祖母に手ほどきを受け、着物の見立ても祖母がしたらしい。その思い出の物が残り、いつまでも祖母とつながり、昔の出来事がまざまざと蘇るわけだ。

なるほどねーーー。記憶をたどっても、思い出の物がなければ、記憶がだんだん薄れていく。そうならないためにも物を残すということは大切である。僕にとって、父の思い出の物とはなんだろう?。悲しいかな、即、思いつかない。記憶だけでしかない。

なんでも、講演に赴いた青木奈緒さんの姿は着物姿だったようだ。一体、どんな人なんだろうか?と興味があったので、ネットで調べてみた。あった。あった。和服姿の顔写真が。凜々しさを備えた美しい人だった。

実は、どういう人なのかと知りたかった、もう一つの理由がある。それはラジオから聞こえてきた彼女の声である。小鳥が唄っているような、いや、泣いているような優しい声だった。きっと、まだ若いお嬢さんに違いないと思ったわけである。失礼ながら、若いお嬢さんではなかったが、すてきな女性に思えた。

残念ながら、彼女の作品はまだ読んだことがない。いつかチャンスがあれば、紐解いてみようと思う。

さあ、今宵は早寝とは行かないが、そろそろベッドインしよう。

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