「風立ちぬ」とは?。
2013年9月11日 日常朝夕は涼しくなったが、昼間はまだ暑い。クーラーが必要だ。そんな中、昨日と一昨日の二日間は、草刈りに精出した。あっという間に草が膝上まで伸びていた。「草立ちぬ」か。やんなっちゃうぜ。
折もよく、草刈り男君が、「草を刈らして欲しい」とやって来た。彼は年に数回やってくる。定職もなく、家庭もなく、生活保護を受けながら暮らしているようだ。真面目に労働してくれるので助かってはいる。僕としては友人のネズミ男君に頼みたかったのだが、彼は近々、病院で検査を受ける。尿が変に濁っていると言うのだ。石か何かが内臓にあるのだろう。あちこち動き回って悪さをしているのかも知れない。
僕が冗談に、「ネズちゃんよ。あんたも、とうとうくたばるか?」と笑いながら言うと、「やめてよーーー。結果が悪けりゃ、旅にもいかれないぜ」と、悲しそうな顔をする。その割には日々、ゲートボールにいそしみ、じっちゃん、ばっちゃん達と酒を飲んでいるから始末に負えない。じっちゃん、ばっちゃん達は皆、彼より年上の人ばかりで元気だそうな。従って、ゲームで彼がミスをすると、その都度文句ばかり言われるらしい。「はがいかーー。ぐらいするぜ」と彼は言う。じっちゃん、ばっちゃんたちはミスしても知らぬ存ぜず。ちゃっかりしたものよ。「あんた、ゲートボールを止めればいいじゃん」と僕が言うと、そうもいかないらしい。メンバーが足りなくなるそうだ。まああ、親孝行のつもりで付き合いしかないだろう。
話しは変わるが、「風立ちぬ」という言葉を最近よく聞く。「風が立った」という意味らしい。美しい日本語だ。この言葉の背景は幾重にも想像が働き、幾重にも解釈できる。宮﨑駿さんの長編アニメ「風立ちぬ」がまだ記憶に新しい。主題歌は荒井由実さん作詞作曲の「ひこうき雲」。これは僕の大好きな歌だ。又、随分昔になるが、山口百恵さんと三浦友和さんの共演で映画化もされた。残念ながらアニメも映画も見てはいない。
なぜ、「風立ちぬ」について触れたかったかというと、先日ラジオの朗読番組で、堀辰雄氏の小説「風立ちぬ」を聞いたからだ。美しい自然に囲まれたサナトリウムで、結核に冒された婚約者に主人公が付き添い、二人で残された時間を支え合いながら共に生きていく物語。
この物語を聞いて僕は痛く感動した。今も二人の会話や情景が頭にこびりついて離れない。堀辰雄氏の実体験談とのこと。こんなに美しい愛が全うできれば、生と死を超越して人生はきっと幸せに違いない。「僕だったらどうしただろう?」と、ふと思った。
「風立ちぬ。いざ生きめやも」という詩句はポール・ヴアレリーの詩を作家、堀辰雄氏が訳したものらしい。「風が立った。さあ生きようじゃないか」という意味。その裏に隠された本当の意味は、「過去から吹いてきた風が、今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安が生まれた瞬間をとらえている」と、解説してある。いやああ、言葉の真の意味をとらえることはなかなかに難しい。
なんだか、今日は僕の汚れた心がすっかり洗われるようだ。おまんま獲得に日々追われて、目先のことしか考えない自分だが、時折、こんなすばらしい小説を聞いたり、本を紐解くのも良い。たまには心の浄化が必要だ。
折もよく、草刈り男君が、「草を刈らして欲しい」とやって来た。彼は年に数回やってくる。定職もなく、家庭もなく、生活保護を受けながら暮らしているようだ。真面目に労働してくれるので助かってはいる。僕としては友人のネズミ男君に頼みたかったのだが、彼は近々、病院で検査を受ける。尿が変に濁っていると言うのだ。石か何かが内臓にあるのだろう。あちこち動き回って悪さをしているのかも知れない。
僕が冗談に、「ネズちゃんよ。あんたも、とうとうくたばるか?」と笑いながら言うと、「やめてよーーー。結果が悪けりゃ、旅にもいかれないぜ」と、悲しそうな顔をする。その割には日々、ゲートボールにいそしみ、じっちゃん、ばっちゃん達と酒を飲んでいるから始末に負えない。じっちゃん、ばっちゃん達は皆、彼より年上の人ばかりで元気だそうな。従って、ゲームで彼がミスをすると、その都度文句ばかり言われるらしい。「はがいかーー。ぐらいするぜ」と彼は言う。じっちゃん、ばっちゃんたちはミスしても知らぬ存ぜず。ちゃっかりしたものよ。「あんた、ゲートボールを止めればいいじゃん」と僕が言うと、そうもいかないらしい。メンバーが足りなくなるそうだ。まああ、親孝行のつもりで付き合いしかないだろう。
話しは変わるが、「風立ちぬ」という言葉を最近よく聞く。「風が立った」という意味らしい。美しい日本語だ。この言葉の背景は幾重にも想像が働き、幾重にも解釈できる。宮﨑駿さんの長編アニメ「風立ちぬ」がまだ記憶に新しい。主題歌は荒井由実さん作詞作曲の「ひこうき雲」。これは僕の大好きな歌だ。又、随分昔になるが、山口百恵さんと三浦友和さんの共演で映画化もされた。残念ながらアニメも映画も見てはいない。
なぜ、「風立ちぬ」について触れたかったかというと、先日ラジオの朗読番組で、堀辰雄氏の小説「風立ちぬ」を聞いたからだ。美しい自然に囲まれたサナトリウムで、結核に冒された婚約者に主人公が付き添い、二人で残された時間を支え合いながら共に生きていく物語。
この物語を聞いて僕は痛く感動した。今も二人の会話や情景が頭にこびりついて離れない。堀辰雄氏の実体験談とのこと。こんなに美しい愛が全うできれば、生と死を超越して人生はきっと幸せに違いない。「僕だったらどうしただろう?」と、ふと思った。
「風立ちぬ。いざ生きめやも」という詩句はポール・ヴアレリーの詩を作家、堀辰雄氏が訳したものらしい。「風が立った。さあ生きようじゃないか」という意味。その裏に隠された本当の意味は、「過去から吹いてきた風が、今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安が生まれた瞬間をとらえている」と、解説してある。いやああ、言葉の真の意味をとらえることはなかなかに難しい。
なんだか、今日は僕の汚れた心がすっかり洗われるようだ。おまんま獲得に日々追われて、目先のことしか考えない自分だが、時折、こんなすばらしい小説を聞いたり、本を紐解くのも良い。たまには心の浄化が必要だ。
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