今日はすこぶる良い天気。気温はやや高いが、まさに秋だ。人生の黄昏に一抹の寂しさを覚える秋。ボール・ヴエルレーヌの詩を思いだす。「秋の日のヴイオロンの ためいきの身にしみて ひたぶるに うら悲し」。ここで、「およよーー、うえーーーん」と涙の一滴でも出れば、赴きもあるが、その兆候、全くなし。まだ、「秋深し」とまでは行かないからなあーー。「秋深し、となりは何するひとぞ?」。ここに至って初めて、秋の実感があるというもの。

おっと、今宵は仲秋の名月が観照できる。いつも満月とは限らないらしいが今年は満月とのこと。まだ見てはいないが、さぞかし美しいだろう。「ネズミ男君に、月見て一杯といこうぜ」と、誘いたいところだが、このせちがない世の中。彼も僕も、そんな風流な趣向はない。

ただ、小さかった頃、母が縁側にススキと団子を供え、月を眺めた事を覚えている。小林一茶の俳句に「名月を 取ってくれろと、泣く子かな」とある。そんなにかしこい子ならよいが、当時の僕は早く団子を食べたい気持ちで一杯だった。月に「うさぎ」がいないことを知ってから、月を眺める興味も薄れた。

以来、今日まで娑婆の埃にまみれ、ついぞ、名月を見ることもなかった。僕の関心事は、むしろ地球の衛星としての「月」、そのものにある。今では月の表面も裏側も、正確に地図が描かれている。残念ながら生命体は存在していないようだ。いつぞや、月の土地を分譲するとかいう広告を見たことがある。「月の所有権は一体誰にあるの?」と、我が目を疑った。そりゃあー、地球に住めなくなるならば、手っ取り早く、月に移住することも不可能ではないだろう。そうなるまで、生きていればの話しだが。

もう一つ、僕の関心事は火星探査機、キュリオシティーの事である。地球からの指令に基づいて、せっせと働いている。見事である。今のところ、赤茶けた大地に生命体の存在は確認できていない。そこで、地面にドリルで穴を開け、地中を探ったところ、なんと、灰色の土が出てきたようだ。学者達は、「地中なら生命体が存在可能かも」と、大いに期待した。なんと、有機物の一つが発見された。画期的なことだ。だが、生命体を構成するには至らない弱い有機物だったようだ。

生命体の存在には、水とエネルギーと有機物が必要とのこと。中でも、有機物は強い有機物でなければ、生命誕生には至らないとのこと。そこで、キュリオシティーは、今、山の斜面に向かって動いているそうだ。山の斜面なら、有機物が破壊されず、生命誕生に必要な強い有機物が存在している可能性があるという。

地球の兄弟星とも言われる火星に、生命体が存在していたという証拠を早く見つけて欲しいと願っている。僕に永遠の命があるならば、月より火星に移住したいものよ。

夢物語はこのくらいにして、明日の、おまんまのことを考えよう。まずは「お月さんこんばんは」と挨拶だ。




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