台風が去って、僕はちょっと吠えた。
2013年10月9日 日常台風が去った。天気は曇り空。風一つ無い。昨夜の台風が嘘のようである。当地は、たまたま運が良かったのだろう。海岸沿いの地域は被害が起きているようだ。お見舞い申し上げます。
昨日は、準備万端で台風を迎え撃とうと思っていたが、夜になっても一向に強い風が吹かない。だが、安心は出来ない。午後11時過ぎ、ベッドに横になり、風の音に聞き耳を立てていた。木々が揺れる気配もない。時折、思い出したかのように「ゴーーーッ」と、うなり声が聞こえもしたが、ほんの一瞬だ。知らず僕は船を漕いでいたようだ。
朝6時半に起床。薄明るくなった外を見た。昨日と何の変化もない。外に置かれていた物が小屋に片付けられていたので、周囲が異様に広く感ぜられた。「さあ、また、元に戻さなくちゃあーー」と、水をゴクリと飲み、労働に精出した。
やっと、復元できた。時、既に午前8時を回っていた。部屋に戻りテレビをつけると、台風情報を放映していた。なんでも、台風は今年やって来た中で一番大型と言うことらしいが、移動速度が速いこと、暴風圏が広くなかったこと、上陸せず海上を北上したことが幸いだったようだ。だが既に台風25号、26号が機を伺っているという報道もなされていた。今年の地球は一体、どうなってんだ。異常気象がますます進行しているようだ。
台風もさながら、痛ましい事件も報道されていた。女子高校生が刺殺され亡くなったというのだ。人の生も死も日常茶飯事にある。生があれば喜び、死があれば悲しむ。死は死でも天命を全うした死なら、ただただ成仏を願うのみだが、不本意な死ほど悔やまれることはない。
パスカルは言った。「人間は考える葦である」と。そうそう、昔、友人も言っていた。「人間は考えることが出来るから、善しきも、悪しきも、喜びも、悲しみも知ってしまった」と。確かにそうだ。
問題は法治国家にあって、「悪しき事は罪である」と考えることが出来れば、人を殺めるという最大の罪を犯すこともないだろうに。皆、そのことは分かっている。要は「悪しき事」の定義である。法を破ること。これが第一義であろう。それでも、事件に至ってしまう背景は何だろうか?。
思うに、有史以来、人類の歴史は闘いの連続だった。闘い、人を殺戮してきた。人の死を目の当たりにして、さほど人は驚かなくなった。人の死よりも闘いに勝つことが優先された。闘いに勝てば実りがあり、後世の豊かな暮らしが保証されると考えたわけだ。死はその代償だったのか?。あな、恐ろしやである。
これではいけないと考えた人類は、人の命と財産を守るため、国家は法律を作り、主権を国民に与えた。「主権在民」、「議会民主主義」、「基本的人権の尊重」、これはすばらしいことだ。人々は自由を謳歌し始めた。
だが、未だに国家同士の争いは絶えない。なぜ争うのか?。国家の発展度合いは違う。話し合いが物別れに終われば、国交断絶、しまいには戦争になる。種の保存のために闘うわけだ。食料を確保しなければならない。領土を増やさねばならない。宗教が違えば相手を排他する。こうなってしまえば、もはや世界は終わりだ。今はまだ、不安定ながら、かろうじて均衡状態にあるが、この均衡が破れれば一環の終わりだ。「さらば、地球よ」。宇宙戦艦大和に乗って、旅立たねばならない。
こういう、世界の情勢や、国の在りようが、個々の人間の考え方にも大きな影響を与えているように思える。主権在民、基本的人権の尊重とは言っても、豊かになればなるほど、個々人間での生活格差は広がり、差別化が生まれた。人間関係もぎくしゃくしてきた。それでも、自由はあった。ただ、死に対する尊厳の念が薄れてきたことが問題だ。
いつだったか、ラジオで聞いた。祖母が亡くなる時、枕元に親、子供、孫、ひい孫たちが全員集まり、祖母の手を取って「おばあーちゃん、おばーちゃん」と呼びかけると、祖母はにっこり笑って、幸せそうな顔をして旅だったと言うのだ。
これだ。これである。子供にも、孫にも、ひ孫にも、死を間近に経験させること。おばーちゃんの笑顔は子供や孫達の心に、死にたいする尊厳の心を自ずと養わせるだろう。今、日本人に欠けていることは、こういう幸せな死を経験出来ない人達が多いことかもしれない。
事件を起こした青年に、死に対する尊厳の心があれば、人を殺めると言う行為も起きなかったかも知れない。もっと、違った解決の方法もあったはずだ。
そう言いながら、僕も他県にいる母の死に目にも会えないかも知れない。出来るなら母の手を取って、「有り難う」と言いたいが。核家族化が進行し、今や大家族で暮らすことがかなわなくなった。核家族化もやむを得ない今日。出来れば、正月、お盆以外に、たびたび故郷に帰る運動を展開すべきかもしれない。行政、国を挙げて「故郷に帰ろう運動」が始まると、事件も少なくなるかも知れない。
昨日は、準備万端で台風を迎え撃とうと思っていたが、夜になっても一向に強い風が吹かない。だが、安心は出来ない。午後11時過ぎ、ベッドに横になり、風の音に聞き耳を立てていた。木々が揺れる気配もない。時折、思い出したかのように「ゴーーーッ」と、うなり声が聞こえもしたが、ほんの一瞬だ。知らず僕は船を漕いでいたようだ。
朝6時半に起床。薄明るくなった外を見た。昨日と何の変化もない。外に置かれていた物が小屋に片付けられていたので、周囲が異様に広く感ぜられた。「さあ、また、元に戻さなくちゃあーー」と、水をゴクリと飲み、労働に精出した。
やっと、復元できた。時、既に午前8時を回っていた。部屋に戻りテレビをつけると、台風情報を放映していた。なんでも、台風は今年やって来た中で一番大型と言うことらしいが、移動速度が速いこと、暴風圏が広くなかったこと、上陸せず海上を北上したことが幸いだったようだ。だが既に台風25号、26号が機を伺っているという報道もなされていた。今年の地球は一体、どうなってんだ。異常気象がますます進行しているようだ。
台風もさながら、痛ましい事件も報道されていた。女子高校生が刺殺され亡くなったというのだ。人の生も死も日常茶飯事にある。生があれば喜び、死があれば悲しむ。死は死でも天命を全うした死なら、ただただ成仏を願うのみだが、不本意な死ほど悔やまれることはない。
パスカルは言った。「人間は考える葦である」と。そうそう、昔、友人も言っていた。「人間は考えることが出来るから、善しきも、悪しきも、喜びも、悲しみも知ってしまった」と。確かにそうだ。
問題は法治国家にあって、「悪しき事は罪である」と考えることが出来れば、人を殺めるという最大の罪を犯すこともないだろうに。皆、そのことは分かっている。要は「悪しき事」の定義である。法を破ること。これが第一義であろう。それでも、事件に至ってしまう背景は何だろうか?。
思うに、有史以来、人類の歴史は闘いの連続だった。闘い、人を殺戮してきた。人の死を目の当たりにして、さほど人は驚かなくなった。人の死よりも闘いに勝つことが優先された。闘いに勝てば実りがあり、後世の豊かな暮らしが保証されると考えたわけだ。死はその代償だったのか?。あな、恐ろしやである。
これではいけないと考えた人類は、人の命と財産を守るため、国家は法律を作り、主権を国民に与えた。「主権在民」、「議会民主主義」、「基本的人権の尊重」、これはすばらしいことだ。人々は自由を謳歌し始めた。
だが、未だに国家同士の争いは絶えない。なぜ争うのか?。国家の発展度合いは違う。話し合いが物別れに終われば、国交断絶、しまいには戦争になる。種の保存のために闘うわけだ。食料を確保しなければならない。領土を増やさねばならない。宗教が違えば相手を排他する。こうなってしまえば、もはや世界は終わりだ。今はまだ、不安定ながら、かろうじて均衡状態にあるが、この均衡が破れれば一環の終わりだ。「さらば、地球よ」。宇宙戦艦大和に乗って、旅立たねばならない。
こういう、世界の情勢や、国の在りようが、個々の人間の考え方にも大きな影響を与えているように思える。主権在民、基本的人権の尊重とは言っても、豊かになればなるほど、個々人間での生活格差は広がり、差別化が生まれた。人間関係もぎくしゃくしてきた。それでも、自由はあった。ただ、死に対する尊厳の念が薄れてきたことが問題だ。
いつだったか、ラジオで聞いた。祖母が亡くなる時、枕元に親、子供、孫、ひい孫たちが全員集まり、祖母の手を取って「おばあーちゃん、おばーちゃん」と呼びかけると、祖母はにっこり笑って、幸せそうな顔をして旅だったと言うのだ。
これだ。これである。子供にも、孫にも、ひ孫にも、死を間近に経験させること。おばーちゃんの笑顔は子供や孫達の心に、死にたいする尊厳の心を自ずと養わせるだろう。今、日本人に欠けていることは、こういう幸せな死を経験出来ない人達が多いことかもしれない。
事件を起こした青年に、死に対する尊厳の心があれば、人を殺めると言う行為も起きなかったかも知れない。もっと、違った解決の方法もあったはずだ。
そう言いながら、僕も他県にいる母の死に目にも会えないかも知れない。出来るなら母の手を取って、「有り難う」と言いたいが。核家族化が進行し、今や大家族で暮らすことがかなわなくなった。核家族化もやむを得ない今日。出来れば、正月、お盆以外に、たびたび故郷に帰る運動を展開すべきかもしれない。行政、国を挙げて「故郷に帰ろう運動」が始まると、事件も少なくなるかも知れない。
コメント