今日は終日、雨のようだ。台風の影響だろう。こんな雨の日は出かける気がしない。ちっとも、じっとしておれない僕の性分。何かしたくて仕方がない。「仕事をするか」と思うが、どうも身がはいらない。気が散乱しているのだ。
そんな風で悶々としているところへ、どらえもん君がやってきた。茶を飲みながら話すことひとしきり。お腹の中から「あっと、驚く」情報でもあるかと思ったが、特に無し。彼もでっかい図体をもてあましているようだ。小一時間ばかりで彼は帰って行った。これから義父のところへ、陣中見舞いに行くそうだ。
今日、雨が降っていなければ、少々早いかもしれないが、僕は正月の掃除でもしようと思った。善は急げである。昨日は外の芝垣を剪定ばさみで、頭をきれいにそろえた。見かけが良くなった。後は、例によって雑草刈りが待っている。これは恐らく11月になるだろう。ネズミ男君の力を借りねばなるまい。
そういえば、今月末はネズミ男君の誕生日だ。彼はいつも言っている。「おいどん達も、あと20数年の命だぜ。今のうちにやれることをやっておかなくちゃあーーー。心の優しい嫁さんでも見つけるか?」と。ごもっとも。同感、同感だ。
彼の誕生日祝いと言っては何だが、先日、小料理屋「梓」さんを通じて、ワイン2本を調達してくれるように頼んでいた。梓さんのすぐ近くに、出入りの酒屋さんがある。実は、先週、その酒屋が店じまいとのことで、在庫一掃のイベントをやっていた。ワインは60%引きとのこと。これに便乗しない手はない。ネズミ男君の祝いには、もってこいだ。
店じまいの理由は、経営者の病気である。後継者が店を継がないとのことで、閉店セールをやったのだ。病気なら仕方が無いかと思っていたが、なんと、一昨日亡くなった。顔見知りの経営者だったので、ショックである。58歳だった。祝い酒が供養の酒になりそうだ。ただ、ただ、冥福を祈りたい。
人の死ほど悲しいことはない。特に縁があった人の死はなおさらだ。僕も幾多の死に遭遇してきた。「悔いのない死」ならば、極楽往生を願い、魂を癒やすことも出来ようが、世の中の死は、そればかりではない。不本意な死も多い。事件や戦争、災難による死はそうだろう。そんな死だけはあってほしくない。
死は裕福であれ、貧乏であれ、時の差こそあれ平等に訪れる。偶然に生じた命ならば、悔いのない生を全うしたいものだ。どうしたら悔いのない生を全うできるか?。「生、来たらば生に任せ、死、来たらば死に任す」。うんんん、こういう達観した考えが出来るのは、高僧か仙人ぐらいだろう。僕には出来そうもない。
そこで、気の弱い僕は考えた事よ。いつしか世界中を行脚の旅に出ようと。懐には、当分まかなえる大枚をしのばせている。愛しきマドンナが道連れだ。テクテクと「幸せさん、どこ、どこ?」とおらびながら歩く。日が暮れたら、どこかの御堂や小屋や洞穴に泊まる。そんな日々を過ごす。きっと、淋しくはないだろう。なぜなら、君がいて僕がいるからだ。何かの歌にも、そんな歌詞があったっけ。
旅の途中で僕は病にかかり、行き倒れるかもしれない。マドンナが心配そうに僕の顔をのぞき込む。彼女の涙がしずくとなって僕の頰に落ちる。そこで、僕は言うだろう。「ごめん。はやくに逝きそうで。でも幸せだ。有り難う。死んだらどこかに葬って。あちらの世界で待っているから」と。いやああ、これに勝る幸せがあろうか?。ある。ない。いや、ある。「ある」と信じれば、日々の生活も豊かになるだろう。出来ればこんな死を迎えたい。
僕の妄想も。ここまで行くと病的かもしれない。台風の被害を懸念する心が、この妄想を生じさせたか?。おっと、雨も小康状態になった。そろそろ、妄想を離れて、肉体労働でもするか。
そんな風で悶々としているところへ、どらえもん君がやってきた。茶を飲みながら話すことひとしきり。お腹の中から「あっと、驚く」情報でもあるかと思ったが、特に無し。彼もでっかい図体をもてあましているようだ。小一時間ばかりで彼は帰って行った。これから義父のところへ、陣中見舞いに行くそうだ。
今日、雨が降っていなければ、少々早いかもしれないが、僕は正月の掃除でもしようと思った。善は急げである。昨日は外の芝垣を剪定ばさみで、頭をきれいにそろえた。見かけが良くなった。後は、例によって雑草刈りが待っている。これは恐らく11月になるだろう。ネズミ男君の力を借りねばなるまい。
そういえば、今月末はネズミ男君の誕生日だ。彼はいつも言っている。「おいどん達も、あと20数年の命だぜ。今のうちにやれることをやっておかなくちゃあーーー。心の優しい嫁さんでも見つけるか?」と。ごもっとも。同感、同感だ。
彼の誕生日祝いと言っては何だが、先日、小料理屋「梓」さんを通じて、ワイン2本を調達してくれるように頼んでいた。梓さんのすぐ近くに、出入りの酒屋さんがある。実は、先週、その酒屋が店じまいとのことで、在庫一掃のイベントをやっていた。ワインは60%引きとのこと。これに便乗しない手はない。ネズミ男君の祝いには、もってこいだ。
店じまいの理由は、経営者の病気である。後継者が店を継がないとのことで、閉店セールをやったのだ。病気なら仕方が無いかと思っていたが、なんと、一昨日亡くなった。顔見知りの経営者だったので、ショックである。58歳だった。祝い酒が供養の酒になりそうだ。ただ、ただ、冥福を祈りたい。
人の死ほど悲しいことはない。特に縁があった人の死はなおさらだ。僕も幾多の死に遭遇してきた。「悔いのない死」ならば、極楽往生を願い、魂を癒やすことも出来ようが、世の中の死は、そればかりではない。不本意な死も多い。事件や戦争、災難による死はそうだろう。そんな死だけはあってほしくない。
死は裕福であれ、貧乏であれ、時の差こそあれ平等に訪れる。偶然に生じた命ならば、悔いのない生を全うしたいものだ。どうしたら悔いのない生を全うできるか?。「生、来たらば生に任せ、死、来たらば死に任す」。うんんん、こういう達観した考えが出来るのは、高僧か仙人ぐらいだろう。僕には出来そうもない。
そこで、気の弱い僕は考えた事よ。いつしか世界中を行脚の旅に出ようと。懐には、当分まかなえる大枚をしのばせている。愛しきマドンナが道連れだ。テクテクと「幸せさん、どこ、どこ?」とおらびながら歩く。日が暮れたら、どこかの御堂や小屋や洞穴に泊まる。そんな日々を過ごす。きっと、淋しくはないだろう。なぜなら、君がいて僕がいるからだ。何かの歌にも、そんな歌詞があったっけ。
旅の途中で僕は病にかかり、行き倒れるかもしれない。マドンナが心配そうに僕の顔をのぞき込む。彼女の涙がしずくとなって僕の頰に落ちる。そこで、僕は言うだろう。「ごめん。はやくに逝きそうで。でも幸せだ。有り難う。死んだらどこかに葬って。あちらの世界で待っているから」と。いやああ、これに勝る幸せがあろうか?。ある。ない。いや、ある。「ある」と信じれば、日々の生活も豊かになるだろう。出来ればこんな死を迎えたい。
僕の妄想も。ここまで行くと病的かもしれない。台風の被害を懸念する心が、この妄想を生じさせたか?。おっと、雨も小康状態になった。そろそろ、妄想を離れて、肉体労働でもするか。
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