恩師の傘寿お祝い兼、級友会。
2016年3月19日 日常高校時代の恩師が傘寿を迎える。級友から、傘寿のお祝いと兼ねて級友会ををやろうと案内を受けた。「傘寿?」、ええーっ、これなんと読むの?。恥ずかしながら知らなかった。すかさず検索にかけた。「さんじゅ」と読むらしい。何でも、傘という字の略字が、八十となるらしい。てなわけで、八十歳のお祝いである。なるほどねえーー。感心した。
そういえば、高校を卒業してから、あれこれ、云十年以上になる。おいらたちも歳をとったぜ。心は相変わらず子供のままだが。級友たちには時々、故郷(もう故郷はない)に帰ったとき、会っていた。恩師とは、確か古稀のお祝いの時に会ったっけ。それ以来になるか。
切磋琢磨して受験勉強に励んだこと。片思いのままで終わった初恋。居眠りして恩師に頭を「コッン」とたたかれたこと。いろんな思い出がよみがえる。それぞれに進む道は違ったが、同じ釜の飯をった仲間とのふれあいの記憶は、永遠に消えるものではない。持つべきは竹馬の友か。
開催の日時は5月。おっとっとー、ありゃあーー、とっちゃん坊や4人衆の旅行の日と日程が重なった。幸い、旅行の行き先が、僕、ジャイアンが学んだ高校の近辺だから、二日目の夕方6時からの級友会には参加できないこともない。他の3人と分かれて、彼らを帰して、僕一人が参加して、追加で一泊すればよい。今、思案中である。たぶんそうなるだろう。
いずれにしても、月日の流れの速さに驚く。子供の頃は一日が終わるのを長く感じた。特に、授業時間だけは、早く過ぎてほしいと、いつも、心の中で叫んでいた。いまや、あっという間に時が過ぎていく。あまりに早すぎるぜ。なぜなんだ?。
やがて、否応なく死の扉が開くだろう。以前はその扉を「あな、おそろしや」と思っていた。しかるに、最近は死後の世界があると、ちょっぴり思えるようになり、心の慰みになっている。
なんとなれば、ある偉い脳科学者の中に、死後の世界を信じている人がいるからだ。科学では説明できない体験を述べていた。臨死体験ということがよく話題になっているが、あながち、そのことを否定できない。
さらに、昨今、多次元の宇宙が語られている。宇宙は一つだけではなく、無限にあるというのだ。そのどれかの宇宙に、地球と同じような惑星が存在し、そこに僕がいる。僕がいるのだ。今、ここにいる僕と顔・形はそっくり。短足胴長の体形まで一緒だ。ただ、違うこと。それは思考形態かもしれない。僕が考えていることと同じことを考えてはいまい。そこまでは僕も要求はしないぜ。
まあ、それはいいとして、僕が滅しても、違う惑星に僕が存在するならば、僕の生は無限ということになる。そう考えると、死をそれほど怖がることもないか?。
今はただ、そういう別の地球が存在することを願うだけだ。
そういえば、高校を卒業してから、あれこれ、云十年以上になる。おいらたちも歳をとったぜ。心は相変わらず子供のままだが。級友たちには時々、故郷(もう故郷はない)に帰ったとき、会っていた。恩師とは、確か古稀のお祝いの時に会ったっけ。それ以来になるか。
切磋琢磨して受験勉強に励んだこと。片思いのままで終わった初恋。居眠りして恩師に頭を「コッン」とたたかれたこと。いろんな思い出がよみがえる。それぞれに進む道は違ったが、同じ釜の飯をった仲間とのふれあいの記憶は、永遠に消えるものではない。持つべきは竹馬の友か。
開催の日時は5月。おっとっとー、ありゃあーー、とっちゃん坊や4人衆の旅行の日と日程が重なった。幸い、旅行の行き先が、僕、ジャイアンが学んだ高校の近辺だから、二日目の夕方6時からの級友会には参加できないこともない。他の3人と分かれて、彼らを帰して、僕一人が参加して、追加で一泊すればよい。今、思案中である。たぶんそうなるだろう。
いずれにしても、月日の流れの速さに驚く。子供の頃は一日が終わるのを長く感じた。特に、授業時間だけは、早く過ぎてほしいと、いつも、心の中で叫んでいた。いまや、あっという間に時が過ぎていく。あまりに早すぎるぜ。なぜなんだ?。
やがて、否応なく死の扉が開くだろう。以前はその扉を「あな、おそろしや」と思っていた。しかるに、最近は死後の世界があると、ちょっぴり思えるようになり、心の慰みになっている。
なんとなれば、ある偉い脳科学者の中に、死後の世界を信じている人がいるからだ。科学では説明できない体験を述べていた。臨死体験ということがよく話題になっているが、あながち、そのことを否定できない。
さらに、昨今、多次元の宇宙が語られている。宇宙は一つだけではなく、無限にあるというのだ。そのどれかの宇宙に、地球と同じような惑星が存在し、そこに僕がいる。僕がいるのだ。今、ここにいる僕と顔・形はそっくり。短足胴長の体形まで一緒だ。ただ、違うこと。それは思考形態かもしれない。僕が考えていることと同じことを考えてはいまい。そこまでは僕も要求はしないぜ。
まあ、それはいいとして、僕が滅しても、違う惑星に僕が存在するならば、僕の生は無限ということになる。そう考えると、死をそれほど怖がることもないか?。
今はただ、そういう別の地球が存在することを願うだけだ。
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